一から学ぶ電力自由化(第二回)日本の歴史編

電力自由化

1 黎明期

 日本には、東京電力や関西電力という発電から小売まで一貫して行う、垂直統合型の一般電気事業者(電力会社)が合計10社ありました。そして、日本を北海道から九州まで10の電力管区に分割し、各地域を一般電気事業者が担当し、独占的に電力供給が行われてきました。しかし、バブル経済の崩壊後、高コスト構造・内外価格差の是正を目的に競争原理の導入による経営効率化を促すことが求められました。そして、日本の電気事業は、プラザ合意以降の急速な円高、レーガノミクスやサッチャリズムなどの経済政策に代表される規制緩和や民営化の世界的潮流化を背景に、国内外より規制緩和撤廃が求められていました。そのため、日本においても電気事業改革が進められ、一般電気事業者による独占構造に見直しが図られることとなりました。

 まず、1995年に電気事業法が改正され、発電事業に新規参入が認められることとなり、独立系発電事業者(IPP=Independent Power Producer)が誕生しました。これにより、一般電気事業者が他の一般電気事業者や卸電力事業者以外からも電気を購入することが可能となったのです。次いで2000年には、大規模工場や高層ビルなど、契約電力が2,000kW以上の「特別高圧」と呼ばれる大口需要家を対象に、電力小売自由化が実施されました。この時に開かれた自由化対象範囲は、極めて限定的で、小売市場全体の3割程度のシェアに留まったものの、これ以降、特定規模電気事業者(PPS)と呼ばれる新規参入者が、一般電気事業者の送配電網を利用して電気を販売することが可能となりました。商社、大手ガス、新日本製鐵のように資本力を有し、燃料を自ら調達し、発電所を建造する知見やノウハウを備えた会社がPPSとして立ち上がった時代です。一方、特に電力事業に関係する背景がなく参入してきた会社として、後に電力事業のみで東証一部上場を果たすこととなるイーレックスの名前も挙げられます。

2 萌芽期

 2003年、一般電気事業者やIPP、PPSなどが出資する私設の取引場である「日本卸電力取引所」(以下、JEPX=Japan Electric Power Exchange)が創設され、2005年4月から取引が開始されました。PPS事業者は供給力が不足した場合に、不足電力を取引所で調達することが可能になったわけです。JEPXの設立によって、大規模発電所を持たないPPS設立希望者の電力事業参入の機会は拡大しました。発電所建造、発電燃料調達、メンテナンス、どれを取っても新規参入者には大きな参入障壁であったからです。また、当時のJEPX市場価格は、平均的に7~8円/kWhで推移していたため、十分に競争力ある価格で電力を調達することができました。JEPXの電力は、他のPPS事業者、一般電気事業者、発電事業者からの余剰電力が主だったため、特別な発電コストがかかっていなかったのです。

 また、同年の電気事業法改正では、2004年から2005年にかけて小売の自由化範囲が拡大し、契約使用規模が50kW以上の「高圧」部分の需要が対象となり、この時点で、日本の販売電力量の約6割が自由化対象となりました。

3 成長期

 2007年頃から、PPSの設立件数が増加しました。背景には、①JEPXの取引が安定的に行われ価格水準も概ね低いこと、②2008年にJEPXの新たな市場である「時間前市場」が創設され、不意の発電所トラブル時のインバランス対応が可能となったこと、③裾切り制度(一定期間に限り、新規参入をしたPPSが変動範囲外インバランスを発生させた場合でも、一定の範囲内であれば変動範囲外インバランス料金を適用しない制度)の導入、が挙げられます。

 また、この頃、自社や自社グループの電力調達コスト削減を主目的として電力供給を行う、いわゆる「需要家PPS」が登場しました。店舗数の多いレストラン業やホームセンター業などが需要家PPSを設立し、大きな利益をあげました。このように、これまでと比較して様々な業種を母体とするPPSが現れたのもこの時期です。需要家PPSの参入が相次いだことを主要因に、自由化市場拡大の機運は高まりました。2010年度の販売電力量は199.6億kWhであり、前年度比で30%増となりました。また、販売シェア最大手のエネットや、日本テクノやオリックスなどが小口顧客の開拓を進めました。しかし、依然としてPPSの販売シェアは2010年度の実績では日本電力需要全体の2%、自由化対象範囲では3.5%程度でした。

 しかし、「コスト削減のためのPPS設立」という手法は、法人間で徐々に認知度を高めていきました。また、この頃までに設立されたPPSの多くは、エネルギー管理士など電力に関する知見を備えた者が担当者でした。振り返ってみると、東日本震災が発生するまでの時代はPPS事業者にとってのいわば太平期だったと言って過言ではありません。

4 衰退期

 2011年3月11日、宮城県牡鹿半島の東南東沖130km、仙台市の東方沖70kmの太平洋の海底を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生しました。地震の規模はマグニチュード 9.0で、発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震でした。この東日本大震災は、電力の需給逼迫を引き起こし、計画停電などが実施される事態を招きました。そして、全国の原子力発電所の稼動停止を受けて、日本の電力事情は一転し、需要に対して供給が不足しかねない状況に陥りました。

 東京電力の管内では、3月14日から28日にかけて計画停電が行われ、1976年の石油危機以来、30数年ぶりに電力使用制限令が発令され、大口需要家(契約電力500kW以上)は15%の節電を義務付けられました。

 また、各一般電気事業者などでは電力不足対策として、老朽化などの理由で休止していた発電設備を再稼働させる措置や、既存発電所敷地内でのガスタービン・ディーゼル発電設備の増設などを行いました。再整備された発電所の中には老朽化の進んでいる設備が多く、火力発電所がトラブルにより停止する事例が発生するなどリスクがありました。2012年には節電要請期間中であった九州電力管内で、定格229.5万kWの新大分火力発電所が全停止し、九州電力と隣接する四国電力管内で寒波による需要急増で供給予備率3%を記録していたことから、予期せぬ停電の可能性も発生しました。なお、1999年の京都議定書発行以降、CO2排出係数の削減に成功してきた日本でしたが、代替稼働のための発電所は石油、石炭が多く、瞬く間に排出係数を大きく引き上げることにもつながりました。[図1]

[図1] 日本のエネルギー起源CO2排出量の推移
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 また、東日本大震災以降、一般電気事業者は相次いで電気料金の値上げを実施しました。本来、こうした電気料金の高騰は「一般電気事業者より電気料金を安くできる」という触込みで小売販売を拡大させてきたPPSにとって好機となるはずです。しかし、一部のPPSを除き、多くのPPSは活動を活発化させることはできませんでした。これは、東日本震災がもたらした、PPSにとってのもう一つの災厄といえましょう。

 原子力発電所が停止したことによる需給バランスの崩れを受け、JEPXは2011年3月14日から東京市場のスポット取引・時間前取引を中止しました。主にJEPXから電力を調達していたPPSに対しては、東京電力が「給電指令時補給電力」というスキームを使って必要な量を供給しました。この「給電指令時補給電力」は決して高い単価ではなかったため、この時点で事業が立ちいかなくなるPPSはいませんでした。しかし、その後、JEPXの東京市場は再開されましたが、東日本だけでなく西日本においても売入札量が少ない状態が続き、約定価格は全国的に過去最高の水準で推移することとなりました。特に電力需給が高まる夏季、冬季の平日日中に約定価格が30円/kWhを超えることも珍しくなくなり, ピーク時間帯のシステムプライス平均は過去最高となりました。JEPXからの調達は安定的でリスクがないという神話はもはや崩壊し、電力事業を撤退するPPS、参入を取りやめた会社も相次ぎました。PPSの中には発電事業を開始した会社や、公営水力発電所等の入札に参加した会社も見られましたが、不慣れな事業の着手が仇となり、結果的に傷口を広げたPPSも続出しました。

5 復興期

 2016年4月から電力小売全面自由化が行われるというニュースを受けて、2014年頃からPPS登録を行う事業者が増加しました。2016年度を見据え、試験的に2014,2015年度に実際に電力小売を行う事業者も増加したため、需給管理システム開発会社やCISシステム会社も伝統的な大手電機会社のほか、安価でシステムを提供するITベンチャーも現れました。この頃、ようやくJEPX価格も下落を始めたので、再び発電所を持たずに参入するPPSがトレンドとなってきました。

 そして、2016年4月、電力の全面自由化が開始されました。4月末までに70万件を超えるスイッチングの申込みがあり、ひとまず順調な滑り出しに見えました。その一方で、新規参入大手PPSが破綻するなど、国民の不安を招く出来事もありました。これから数年のうちに発送電分離も予定される中、小売事業、送電事業、発電事業と試行錯誤を繰り返しながら切磋琢磨して競争環境を作っていく時代が到来したのです。

 しかし電力自由化開始から2週間後の4月14日、熊本県と大分県で震度7を観測する地震が相次いで発生しました。死者49人、負傷者:1496人の大災害となった。住宅の全壊が2,487棟、半壊が3,483棟、一部破損が22,855棟のほか、被害分類が未確定の住宅被害が31,275棟。熊本県、大分県、宮崎県で合計16万9600戸が停電しました。九州電力の川内原子力発電所は地震の影響はありませんでしたが、国民の間には、「どの地域でも震災は起こりうる」「また、電力の逼迫状況があるかもしれない」という思いが残る中、電力自由化は幕をあけることとなりました。

 なお、PPS業界で販売規模シェア国内6位の日本ロジテック協同組合が、3月11日付で破産手続きの準備に入ったとの報道は、電力自由化に期待する多くの人々に衝撃を与えました。同社は、1200を超える全国の企業や自治体に電力の販売を手がけており、自治体のごみ焼却施設で発電した電気を購入していましたが、財務状況の逼迫化・リスク管理の不備により4月15日には、東京地方裁判所から破産手続きの開始決定を受けました。販売実績のあるPPSが経営破綻したのは全国で初めてとなり、改めて電力自由化時代における電力会社選択の責任を示す教訓となったと言えます。

 このように、電力自由化の経緯を辿ってみると、東日本大震災以前と以後で大きく様相を異にすると見ることができます。特に東日本大震災の前に登録していた電力会社は、JEPXの高騰などを経験してきているため、電力事業のリスクヘッジについて体験的に学んでいるのに対し、後発組、特に2016年4月の電力完全自由化を契機に参入してきた電力会社各社は、経験が圧倒的に不足しています。これに、従来の大手電力会社も交えてみると、電力会社としてのノウハウ、実績に大きな差がある会社同士の争いという構図です。後発組は、経験不足というハンデをIoT技術などと組み合わせたサービス力などで対抗しながら徐々に成長していくことになるでしょう。